男女の仲に限ったことではないけれど、コミュニケーションにおいては
「判断を相手に委ねる」ってことが大切なんだろうなあと思う。
「こう思ってもらいたいな」
と、期待して発した言葉には、そこはかとなくコントロール感が滲んで、魂レベルの交流はなくなってしまうと感じるから。
「こう思ってもらいたい」というのは例えば、
「助けてあげたいな」という同情やら
「かわいいな」という好意やら
「え?」という焦りとか嫉妬やらを
相手から引き出そうという意図みたいなもので、
そういう「匂い」というのは自然と滲んでくるものだし、たとえ上手に「心地よい言葉」に包んだとしても「意図的な言葉」には、どうしても不調和が生まれ、心がズレるエネルギーが込められてしまうんだろうと思う。
「判断を相手に委ねる」というのは時に勇気がいるものだけれど、そこに本当の信頼があるのなら、たとえ回り道になったとしても、最後には最良の着地点に向かうんだろうなあ…。
では私は「素直に言ってみる」、ということを繰り返し、繰り返し丁寧に行って、あとは相手に全てを委ね続けよう。
と、ここまで書いて気づく…。
これって「私」と「神様」の関係に似ているなあ…、と。
「信頼して委ねる」というのは、そうか、神様との関係と同じなんだなあ。
愛する人とも他者ともそうあれば、
結局は最も最善の結果へと導かれると言うことなんだろう。
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