私にとっての「赦し」とは、自らを怒りから解き放ち自由にしてあげること。
それは私を傷つけた人たちを受け入れるということではなく、そこに発生した怒りから自分自身を解放してあげるということ。
「あの人はなぜ私を傷つけたのか」を追求することには意味がなく、あるのは「私は傷ついた」という事実だけ。
「これは私にもたらされた気づき」などという聖人ぶった言い訳にも意味はなく、あるのは「私は傷ついた」という事実だけ。
そして私は私を赦す。
「もう怒りの中に留まらなくてもいいのだ」と。
「怒りの囚人でいることをやめて新しい世界を創造しに行こうよ」と。
私は私を傷つけた人たちのことを永遠に嫌いだろうけれど、そこに囚われてしまった自分を赦すことで自らを永遠に解放するのだ。
それが私にとっての赦し。
スヴァーハー。
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