四半世紀以上も前のことだが、それが3月22日のことであったということだけははっきりと覚えている。
ハタチそこそこ、人間としてもヒヨッコの頃のことだ。
京都一人旅の最中に出会った、不思議なタクシーの運転手さんに「お前のことが気に入った。本物の京都を見せてやろう」と誘われ、京都の山奥も山奥の鄙びた・・・されど立派なお寺に連れて行かれたのだった。(どこの寺だったか、失念してしまったのだけれども、3月も終わるというのに梅林が見事だったことだけは覚えている)
そのお寺で、寺の人たちは運転手さんを「先生」と呼び、到着するや否や丁重に奥の間へと我々を通し、いそいそとお茶とお菓子を運んできてくれたのだった。
そこで運転手さんは随分と尊敬される存在のようで、それはもう謎の深い人物であったのだけれども、弟子が起こした不祥事の償いのためにタクシーの運転手をしながら、「おもろい」と思った人を仏縁つなぎのために寺に連れてくる、ということをしているんだと、そんな風に身の上をほんの少しだけ語ってくれた。
彼は占い師か、それとももしくは行者だったのだろうと今は思う。
不思議な山奥の寺に連れてこられた私は、大きな仏像がいくつも並んだお堂へと連れて行かれ、生まれの本尊に手を合わせるように言われ従っていると、背後から服の擦れる音と微かに真言のようなものが聞こえたから、運転手さんは何かをされていたのかもしれない。
そして、私の手のひらに朱の墨で梵字のようなものと何かの図形をサラサラと慣れた手つきで書くと、寺のご本尊らしき(?)愛染明王の前で、また同じように手を合わせるように、と促したのだった。
「これから出会う人とお前は結婚をして、人生の学びが始まるだろう」、と、私にそう予言したのを最後にして、不思議な不思議な京都の山奥のお寺での夢のような出来事は終わったのだった。
運転手さんは私を山奥に置き去りにすることもなく、ちゃんと京都の駅前まで送りとどけ(片道はゆうに一時間はあったと思う)、運賃を払おうとする私の申し出を静止し、そしてまた、どこかへと去って行ってしまった。
それから1年ほど経った頃だろうか。
私は件の日付と同じ3月22日生まれの男性と出会い、最初の結婚をし、確かに、「人生とはなんぞや」を思う学びが始まったのであった・・・。
そして振り返るに、そこからの私の人生は今に至るまで、そこから構築されたいったディープでオカルトじみた人間関係が中心に巡っている、ということにも気づくのだった。
あの運転手さんは、もしかすると京都の山に住まう天狗だったのではなかろうか。
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