「心」の生み出すエネルギーは大きくて派手だから、人はついその「騒ぎ」に巻き込まれ、やがては自分自身がその「心そのもの」であると勘違いしてしまう。
七転八倒転げ回って大騒ぎをして「ああ私はもうダメだ!!」と大声で喚いて大泣きをして、果ては全てに絶望をしてみたり。
でも「心」は私の「本体」などではなかったと気づけたなら、暴れ回る「心」からそっと離れて、「心」が泣き喚くのを少し離れた場所から静かに見守ってみるといいよ。
「心」が気が済むまで言いたいことを言わせ、暴れさせ、泣き叫ばせてみるといいよ。
するとある瞬間、「心」はハタとあなたの「本体」が一緒に騒いでくれていないことに気づいて照れ臭そうに我へと返り、クリアな色を湛えながらあなたの元に戻ってくるものだから。
これは本当。
これは私がいつも自分の「心」とやっている喜劇・茶番劇。
心は無理に押さえつけようとしても言うことは聞いてくれないんだ。
ただ手放してニュートラルな場所で戻ってくるのを待っているしかないんだ。
「お前の居場所はココだよ」と。
八木重吉さんの詩【心よ】は、そんな私の「心」にまさに沁みるわけで。
こころよ
では いっておいで
しかし
また もどっておいでね
やっぱり
ここが いいのだに
こころよ
では いっておいで
🌕 🌖 🌗 🌘 🌚 🌒 🌓 🌔 🌕