何者をも定義付けない、という自由の中にありたいと思う。
なぜなら、世界を「定義付け」をした瞬間に全ては限定され、
「本当のこと」は見えなくなるから。
「これはこういうことだね」「つまり君はこういう人だね」、と言う無意識の言葉の中に発言者の心理は表れる。
そこに相手が投影しているものはまざまざと見えてしまうものだ。
それが「この世は鏡である」と言う意味なのだろう。
しからば、私が「対象をどう見ているか」の中には、自分自身が露わになっているのだろうな、とも思う。
だから私はあなたの中に神を見て、この世界に浄土を見い出したいと思う。
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