星が導く「したほうが良い葛藤」のお話を私は時々しますが、「葛藤」ってそれはある意味、深い部分での自分自身との対話であるのだろうな、とも思うのですよね・・・。
いつの世も、人間が共通して抱える「怒り」がこの世界の根底にはあり、でも、表面上は「理性」でそれを何とかコントロールしている状態に今はあるわけですが、「コントロール出来ている」ことと「怒りの消失」はイコールではありません。
見えないところではいつでも一触即発なエネルギーが渦巻いている。
そこに抱える葛藤。
しかもそこに油を注ぐがごとく、「全ては愛です」「ヒューマニティーです」「ワンネスです」などと外野席の安全な場所から得意げに言う者が現れる・・・・。
そこに抱える葛藤。
それらをまた、第三者的な立ち位置から俯瞰して見ている者もいる。
そこに抱える葛藤。
命がけの現場で踏ん張っている人たちは泥まみれになりながら、歯を食いしばりながら、現状を好転させることを渇望しながら生きている・・・。
その痛み、苦しみは「俯瞰する者」にとっても痛いほど分かるものです。
また同時に、外野席から理想論を語る人(語りたい人)たちの気持ちも分かってしまうわけです。
なるほどつまりこれは、「知性を持った生き物」として持ち得る最大級の葛藤なのでありましょう。
仏教では、「今ここ」こそがすでに浄土であると解きますが、地上のニルヴァーナは己の心の静寂さの中にあるのでしょう。
極の両端を了解しつつ、全てを解き放つこともできますが、
涙する愛する人の肩を抱き寄せて、共に泣くことができるのもまた人間の仏性かと思います。
そんな風に今夜は結論に至り、क्षितिघर्भに合掌🙏
南無帰依地蔵菩薩
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ
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