ゾグチェンの師匠は、我々の正体とは水晶球の如くであり、世界とはそこに敷かれた敷布の如くであると言いました。
敷布を選んでいるのは「私」なのですよね。
実はこの敷布を変えるのは簡単なのですが、私は今敢えて、「真の自由にチャレンジする」と言う敷布を選んでいます。
お釈迦様も、何不自由ない「王族と言う敷布」を捨て「生老病死」の上に身を置いたことで探求・修行の道に入られました。
人間は「なぜ?」と思う時、意識が拡大するのだろうと思います。
「疑問に思う」と言うのは、人間にもたらされたユニークな感性です。
哲学者も宗教者も皆、「なぜ?」のトリガーを引いた人たちなんでしょう。
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