全てが「今ここ」に存在しているなれば、喜びの日も悲しみの日も、あの夏の快晴の広島も長崎も、今ここに同時に存在しているということです。
宇宙創生以来展開し続ける事象のタイムラインの上に私はいて、その瞬間の喜怒哀楽や阿鼻叫喚の記憶を抱きしめています。
瞬間瞬間が無限の選択の岐路にあって、私は自らの遺伝子に書き込まれた先祖たちの記憶を抱えながら、次の瞬間を選択する自由を与えられているということです。
これを慈悲と言わずしてなんと言うのでしょうか。
高く飛ぶ前は低く屈まなければなりませんが、今世界は、風の時代を成就するべく、低く、低く屈んでいるところなのでしょう。
そして、時が来たときに、「どちらの方角に飛ぶか」は、人類の自由選択に任されています。
「喜びの風の時代」を選ぶも「恐怖の風の時代」を選ぶも、全て我々「人類」という集合的意識に任された宇宙のダイナミックな楽曲の一節と言うことです。
スヴァーハ
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