朝起きてから眠るまで
仕事で忙しくめまぐるしく生きるのもあり
体型も何もかも価値の外に追いやって食に溺れるのもあり
育児にのめり込むのもあり
買い物に奔走するのもあり
女友達とのパーティー三昧に興じるのもあり
ゲームに熱中するのもあり
自分の人生であるのだから何でもありが当然なのだけれども
もしそれらが寂しさを埋めるためのものなのだとしたら、魂が枯渇する前に、自らが置き去りにしてしまった自分自身を迎えに行ってあげた方が良いのだと思う。
人間は愛が必要な動物なのだと思うから。
子供の頃には親や親戚、兄姉や先生たちから注いでもらえたもの。
大人になるにつれて「自分で探さなくては」ならなくなるもの…。
目を見つめて「愛しているよ」と言ってもらえること…。
それはとても大切なこと。
それを「欲しい」と思っている自分を素直に認め、求めていくことは勇気もいるけれど、もっともっと大切なことだ。
プライドや恐れがその勇気を奪って、自分自身を欺く人は多い。
10代~20代の初め、社会に対する憎悪と怒りに溺れていた私は、愛は人間を弱め、判断力を奪うものだと考え、拒否し背を向け、否、それどころか攻撃を仕掛け根絶やしにしようとしていたのものだけれど、
大人になった今となっては、その時の私は欲しい愛と保護と温もりを得られずに、ただ拗ねていただけなのだとわかる。
しかし拗ねる心は世界を歪め、自らの心を無視し痛めつけ、怒りという名の武器で武装をし、愛を自ら枯渇させ遠ざけてしまうのだ。
愛の中にくつろぐということは勇気のいること。
歳と経験を積むほどに
悲しい愛も
ずるい愛も
愚かな愛も
狂気の愛も
知ることとなり、
それが愛に身を委ねる勇気を奪うこともあるのだけれど、私はそれら全てを抱えながらも、しなやかに愛を求める者であり続けたいと思う。