今日電車の中で乗り合わせたのは、顔色悪く目の下にクマを作った小枝のように細い中学生くらいの女の子と、その横に労わり寄り添うように腰掛ける、溌剌としたエネルギーに満ち満ちた母親と思しきそんな二人でした。
それを見かけた私の心には、突然溢れるように様々な思いが生まれてきて、何とも説明のつかない感情が大きく渦を巻いていました。
これを「ニュートラル」に捉えるなら、それは私にとって「ただそこにある現象・事象」なのでしょう。
そこに「物語」や「意味づけ」を行うのは【私】なんだ、と、一歩引いて考えればそう言う事なんでしょう。
でも、そんな風に捉えることに対して、今日の私はどうしようもない古臭さを覚え、ただ湧き出てくる自分の感情を、そっと抱きしめたくなったのでした。
嗚呼、感情は神聖である・・・。
と、私はその時、心の奥底からそう感じたんですよ。
それは私の内側から奏でられる旋律なんだ、と、そう思ったのですよ。
喜びも悲しみも、それぞれが特有の音階を持つ音色なのだ、と、そう感じたのですよ。
だから笑おう、もっと。泣こう。怒ろう。喜ぼう。悲しもう。
どの感情もあるがままに愛でよう。
あるものをなかったことにしないで・・・。
・・・そんな風にね、何だか今日は思ったんですよ。