これは私の個人的な考えではあるけれど、私たち哺乳動物は肌の温もりが必要なんだろうなあ、と思う。
例えば出かけた母猫を待つ子猫らは自然とお互いにしっかりと身を寄せ合うもので、もし一匹きりになろうものなら不安で落ち着きをなくすものだ。
人間も幼い時には、母親や父親の力強い腕の中で安らかな寝息を立てることだろう。
でも我々は大人になって一人の足で立たねばならなくなった時、とたんにこの温もりから離れていってしまうように思うんだ。
辛い時も一人で頑張り
悲しい瞬間も一人で涙をこらえ
孤独な夜を一人で耐えて過ごすことも・・・
まるでそれが大人になった証であるかのように。
でも本当は、大人になっても肌の温もりは必要なものだと思うんだ。
吐息を感じるほどに近くで頰寄せ合うことや
相手の鼓動を感じながら抱きしめ合うことや
お互いの存在に熱中しながら溶け合うことは、
それは相手が生きていることを、
そしてまた自らが生きていることを、
確かめ合っているということなのではないだろうか。
若いうちは理解し難いことかもしれない。
何故なら例え一人であっても、彼らは生命力に満ち溢れているから。
そして、そういった融合の中に、美しいファンタジーやおとぎ話を夢見ていたい年頃だから。
でもたとえ年を重ねていったとしても、本当の意味で誰かと溶け合い融合し合う中で得られるエクスタシーの経験を知らなければ、そのこと自体をまるで厄介ごとのように感じて異性を遠ざけてしまう人も中にはあるんだろう。
それでも人間同士の肌の触れ合いの中には、やはり深い癒しがあるのだと私は思う。
例えば
お日様の香りのする子供の髪が顔に触れる時、
心許せる友の手が背中を撫でて慰さめてくれる時、
年老いた家族の腕が肩を抱き寄せてくれる時、
自然と深いところからわき起こる安心感は、やはり自分の命の安全を感じるからなんだと思う。
もしそうやって温もりを交わし合うことができる相手がパートナーだったら当然幸福なことだし、
でも例え一夜の仲であっても、魂を寄り添わせて分かち合えるものがあるのなら、それもまた肌のぬくもりを分かち合う一つの形なんだとも思う。
男女という性に分かれ、肉体をまとって地球に生まれてきた意味の一つが、ここにはあるように思うんだ。
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