「わかり合う努力」というのは一方だけの働きでなるものじゃないんだろうな、と思う。
占い師という仕事柄様々なカップルの様々なありようを目にすることが多い。
占い師業も駆け出しの頃は、すれ違うカップルに対して「何とかお互いにわかり合える方向で」と考えていたこともあるのだけれど、今はそうは思わないんだ。
どうあっても「不毛なコミュニケーション」というものはあって、それはそれで、一つの愛の終わりの形なのだろうと思うから。
貫く愛もあれば手放す愛もあって当然だと思う。
そして手放し、開かれた場所にまた相応しい愛は流れ込んで来るものだから。
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